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30年ぶりに再訪した宗谷岬と稚内公園

JUGEMテーマ:日記・一般

 

先日、日本最北端の地である「宗谷岬」に約30年ぶりに行ってきました。

宗谷岬に近い地方都市である「稚内」には、この20年間の間に、仕事で、34度訪問しています。

しかし、仕事では、なかなか前後の時間がうまく取れず、宗谷岬を訪問する機会はありませんでした。

 

当時は、国鉄が廃止(1987331日)されてから1年が経過しようとしていた頃、青函連絡船が廃止され、青函トンネルが開通した年でした。

かすかな記憶をたどれば、

◆稚内駅からバスで宗谷岬に向かった

◆宗谷岬は、風が強かった

◆宗谷岬にある土産物屋に寄せ書き帳があった

ということを覚えています。

 

30年後の今回は、バスではなく、車で宗谷岬に向かいました。

宗谷岬に向かう道路は、新しい建物もあまりないせいか、私の頭の中にある記憶そのもの。

そして、宗谷岬に到着すると、この日も風が強く、当時の記憶が完全によみがえりました。

 

30年も経過すると、駅舎や町並みは、再開発されて「記憶と全然違う」と思い出を振り返れずに、少し残念に思うこともありますが、自然は変わっていないので、嬉しいです。

 

ただ、少し残念だったのは、30年前に、寄せ書きを書いた記憶のあるお土産物屋さんに寄せ書き帳はなくなっていました。

 

稚内で、もうひとつの思い出は「稚内公園」です。

こちらも、わずかな記憶で覚えているのは、

◆歩いて公園の高台に登るのはしんどかった

◆歩くスキーがあって、体験した

◆樺太犬(タロ、ジロの子孫?)が売店そばに飼われていた

などです。

 

今回は、歩かないで、車で登ってみました。

「氷雪の門」がある高台の売店までは、車でも結構な急斜面で、標高も約80m強あり、歩いたらゼイハァするだろうな、と思いました。

高台から稚内市内、宗谷岬方面、樺太方面の景色は、当時のままで、宗谷岬同様に、記憶がよみがえりました。

 

ただ、「樺太犬」はいませんでした。

そこで、稚内市よりシルバー人材が委託を受けて営業しているソフトクリームを売っていた売店の70代?のおじさんに、聞いてみました。

Q)「30年ぶりに稚内公園にきたんですけど、昔、歩くスキーってやってませんでした?」

A)「ボランティアでやっている人が確かいたね」

Q)「売店の近くに樺太犬がいた気がするんですが・・・」

A)「市から犬を売店の近くで飼うのは問題だって言われて、やめたんだよね。ところで、お宅はどこから来たんですか?昔は、駅で野宿する人もいたよね」

Q)「私は札幌ですが、その野宿していた一人です。いまなら、叱られちゃいますよね」

・・・・・  

 

おじさんありがとう!

30年以上昔に訪問した場所に再訪すると、結構、当時を振り返る形跡や面影、記憶のエピソードが現地で確認できず寂しい想いをすることがあります。

しかし、かすかに残った記憶を再確認できて、すっきりです。

月並ですが、学生時代に、日本各地を、鉄道網中心ですが、ひと通り、まわっておいたおかげで、こうしてノスタルジーにひたれて、しあわせだなぁ、と思った時間でした。

(※ 自分を変える“気づき”ロジカル・シンキングのススメ メルマガ610号より)

 

 

 

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author:有賀正彦, category:一般コラム, 16:30
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