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量質転化の注意点
上達論を勉強したことのある人なら誰でも知っている法則がある。
「量質転化の法則」である。
これは、ある一定量を積み重ねることで、質的な変化を起こす現象を指していて、ものごとの質を変えたかったら、量をこなすことが大事、という意味だ。

つまり、何かが上手くなりたければ、「質が変化するまで量をこなす」ことが必要で、本質が変化しない段階で量をこなすことを止めてしまうとすぐにもとに戻ってしまうのだ。

具体例として、武道で考えてみる。
武道について、試合での勝ち負けだけを競うなら、武道の「技」がある水準以上に達していれば身体が大きく馬鹿力があるといった体力面の優劣で勝敗が決まるだろう。
しかし、30年後に同じ相手と試合をしたならば、「技」が完成されているものが勝つだろう。
質が変わるまで訓練された人の「技」は簡単には崩れないが、主に体力面で試合を渡ってきた人は体力が落ちれば、技が完璧であれば別であるが、技が中途半端である場合は「体力なし、技は崩れてなし」の状態だから勝つことはできない。

仕事でもスポーツでも芸事でもいいが、指導者と呼ばれる人に「自然と出来るようになりなさい」、「意識過剰になりすぎるのはよくない」、「気合入れて練習を積めば無意識で出来るようになる」などという人がいるが、「上達の過程」ではこれは間違いだ。
上達の過程において「意識せずに、無心で、自然と」はまず無理である。

自動車の運転を例にとれば、免許を取得するまでが「上達の過程」と仮に位置づけると、その過程では「ブレーキはこれ、アクセルはこれ、踏切が見えたら減速する、前方6割後方4割ぐらいで前後の車の動きを見る、横断歩道を横切る時は歩行者に注意する・・・」などと交通法規から運転の基本動作まで教官に教わったことを頭の中でフル回転させて、つまり無心ではなく意識的に有心で技を使い続ける(練習し続ける)必要がある。
強烈なまでに意識的に練習を続けることであるときから無意識で技が使えるようになる。
したがって、上達の過程から「自然に、無心でやりなさい」は指導としては間違っている。

自動車教習所の先生に聞いた話であるが、規定時間オーバーで教習所を卒業した生徒が必ずしも事故を起こす確率が高いそうではないそうだ。
むしろ、飲み込みが早くどんどん次の段階に進んで卒業した生徒の方が事故率が高いという。
もしかしたら、反射神経など身体能力で見かけ上の「技(運転技術)」を創ってしまうため、本質的な「技(運転技術)」は身についていない、つまり量質転化していないのかもしれない。

量質転化を考える上で、注意する点がある。
それは、「運動スキーマ」の考え方である。
量質転化の基本は、「質が変化するほどの厳しい反復練習」である。
ただ、それは運動結果が悪かった場合も、それを基に新たな運動スキーマを作り、プログラムを改善して引き続き運動を行うことになる。
つまり、単なる反復訓練だけでは「まともな技」は創られず、「できない技(間違った技)」がどんどん構築されて行く。
反復訓練をするにしても、まともな基礎訓練をし続けなければ、まともな上達は望めない。
厄介なことに、量質転化した技は容易に崩れないと来るから、モデルチェンジはすぐにはできない。

ものごとを上達させる上で、まともな指導者がいれば、この辺については適切なアドバイスが出来るのだろう。
単に「ガムシャラに繰り返す」だけでは、変な方向で量質転化した「技」が創られる可能性があるから注意が必要なのである。
author:有賀正彦, category:一般コラム, 15:44
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