ある小規模だが歴史が比較的長い老経営者が言う。
「あなたが教えている組織論だとか、マネジメントシステムだとかが、(審査登録制度などにより)第三者に説明できる形で構築されて立証できないと組織が顧客から信用されない、と言う世の中は憂うべきことだと思うよ」と。
なんとなく、云わんとすることやその気持ちは理解できる。
私が社会に出たときは、中央官庁主管の外郭団体で強制法規による工場の認定制度に関わったので、ISOの審査登録制度が登場し、製品の輸出や海外での業務活動を行っている組織に対して事実上の取引条件となったときも違和感はなかった。
しかし、企業活動において「第三者によるチェック」が「税務調査」ぐらいしか経験してこなかった企業においては、顧客より取引条件としてISO認証取得による品質管理や環境管理、プライバシーマーク認定取得による個人情報管理などが要求され、取得していないと
門前払いされる世の中は、「仕方がないし当然である」と言う想いと、
「いい仕事を今までやってきていると言う自負心があるのに何故、(認証が)ないと仕事が出来ないの?」と言う想いの両方が入り混じったものであると思う。
特に、家族経営の延長線上にあるような中小企業や一般大衆をエンドユーザーとする商売をしているとその想いは強いかもしれない。
前者は、創業者と顧客とが「腕一本の優れた技術」によって信頼関係が構築されてきた過程があるし、後者は「顧客に信頼されなかったら商売が続いていないよ」と考える。
経営者が会社を「家業」と考えるか「稼業」と考えるかによって、
社会的な要求事項、すなわち「その企業の義務、ニーズおよび期待」
への応え方が違うと考えるべきなのであろう。
「家業」はまさしく家族経営である。大黒柱が倒れたら終わりであるし、それをリスクとして企業も顧客も承知している。
「稼業」と考えると、利害関係者となる対象が増えるので事業としての継続性、すなわち「組織の体制」がある程度きちんとしたカタチが必要になる。
要は、顧客だけでなく、その他の利害関係者(所有者、株主、従業員、供給者、銀行、地域社会など)に対して、組織の目的に対して健全かつ継続的な経営を遂行していく責任が生じていることを意味する。
ちなみに、「組織」とはマネジメントシステム(経営管理の仕組み)では、「責任、権限及び相互関係が取り決められている人々及び施設の集まり」と定義されている。
同じ言語、似たような生活環境や文化や国民性で進んで来た歴史的背景より「以心伝心」「あ・うんの呼吸」というのが日本ではある意味美徳とされてきた。
「♪南の島の大王は、〜会う人会う人カメハメハ、〜雨が降ったらお休みで」の童謡のように明文化されなくともシステム(ルール)は確立していたのだ。
しかし、国際化など社会環境の変化より、社会や会社の中で「同じような感覚」を自然に伝承していくシステムは崩れてきているし、はっきりと自分の考えを理路整然と構築し主張しないと継続的に事業ができない世の中になってきたのだろう。
その為には
「文書化を含む確立したマネジメントシステムの管理」が重要なのである。